壁新聞A wall newspaper
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2020年7月が終わりました。
COVID-19。まさか世の中がこんなことになるとは。前回は2019年に更新していますが、 まさか予測もつかなかったですね。
私自身も前回の記事から激動でした。
令和を前に、新しい日々が始まってもうすぐ一月になる。
最初は戸惑いばかりだった都心の生活も、自分なりに少しずつ最適解を探しつつ適応しようとしている。 ほんの一月前の生活と大分変った。ずいぶん前のような気もする。竜宮城から出たからか、時の流れが変わった。
最寄駅について職場まで歩いていく時に明確にそれは感じる。今までとは違うのだ、この中の1人となって稼がねばならないのだ。 楽園は遠くになった。ほんの少しの、えらく遠くに感じる日々のこと。思い出さないわけがない。
ただ今の職場も悪くない。ここではここで、過ごしている人がいる。凄い人もたくさんいる。竜宮城の中ではわからなかったこと。 その人たちの人となりを聴けて、自分の浅薄さや、甘さに気づくこともあった。
世の中のアラフォーがそうであるように、人並みに迷いがあった。
2019/3/31。 新元号が明日4/1の11時に発表される。あと15時間ほど。 このタイミングで、少しだけ書き残しておこうと思う。 この3月末で、現場異動になった。 今のところに転職して10年以上、一時的な異動はあったがずっと同じクライアント相手に仕事をしてきた。 別にずっとそのままでもよかった。
が、数年前からいよいよ経営不振が明確になり、たまに出る報道はその話題ばかりになっていた。 去る人も多かった。 無理もない。だがずっと、そこにいると緩やかな流れだと思っていた。まだ大丈夫。まだ大丈夫。 実際は相対性理論のように中にいると外の流れが速くなればなるほど時間が止まっているかのようだった。 昨年末。いよいよ決定的なニュースが流れてからは止まっていた時間が動き始めた。
http://www.m-land.co.jp/20140627close_info.html
秋葉原に初めて行ったのは高校の時、ゲームのセレクター(RGBの)を買う目的だったと思う。 その時はあまり、周辺のお店もわからなくて、さっさと引き上げたのだけれど。 その後大学に入って、ゲーム好きな友人達と行ったのが、本当の意味で秋葉原をじっくり周った初めての日だった。 総武線?の橋の下にあるそのお店に初めて入った時の驚きと興奮は、今でもまだ覚えてる。 当時はゲーム産業も勢いがあったので、勿論実家にいた自分自身の地元にもゲームショップはあったのだけれど、 そのお店は、その地元のお店とは違っていた。見たこともないソフト、見たことあるソフトも、地元よりずっと安い 値段で並んでいた。一瞬でそのお店の虜になったけども、当時の実家から秋葉原は1時間半程度、今にしてみれば大して 遠くなかったけど、出不精だったのと、3年次以降は1人暮らしのために無駄な出費を抑えていたこともあり、 その後、秋葉原に行くのは数ヶ月から半年に1回ぐらいだった。ただその度、この橋の下のお店には必ず行っていた。 月曜日が色々なゲームショップの休日と知ったのは、ちょうどその頃。 そして社会人になり、秋葉原から一本で行ける場所で1人暮らしを始めるようになり、秋葉原には行く頻度が増えた。
最近、というか去年からですが、自転車での移動にはまってます。
新宿や秋葉原ならどちらも30分程度で行けるので、ちょうどいい運動かなと。 先日はスカイツリーまで行ってきました。ほぼ都内上半分を回った感じ。 で、昨日(もう一昨日)の日曜日も自宅から白山通りを抜けて秋葉原まで行ってきました。 この道を行くと、東洋大学と、東京大学の前をちょうど通ります。 通りがかったときに、スーツ姿と袴姿の学生が学内から出てきて、写真など撮っていました。卒業式シーズンですね。 今日の帰宅時にはトランクスーツを持っている人をちらほら。卒業旅行ですかね。 高校の卒業式を見てもあまり何も感じないのは、やっと開放されるという思いが強かったからかも。 大学の卒業は、楽しかった場所が失われることの寂しさがあったから、こうしてこびりついているのかもしれないです。 2002年の3月でした、卒業は。 世は日韓ワールドカップ直前。もしかしたら、日本国内に勢いがあった今のところ最期の頃かもしれないです。 その日のことはそれなりに覚えています。天気は抜群に良かったかな。
時間があるとなんか書きたくなりますね。
最近めっきり仕事が少なくなってしまい、時間に余裕ができたので色々と時間を費やしてます。 で、kindleでマンガなんかちらちら読んでるんですが。 最近は「げんしけん」を全巻大人買い。タイトルは知ってたけど、特に今まで見ようとは思わなかった。 なんか、「そーいう」好事家の方々のものかと思って、畑違いだと思っていたので。 が、作者が初期著作からこのげんしけんまで、一貫して大学時代を描いているということをふと知り、ひょっとしたら「同じ」なのかも、という期待が出てきて、買って読んでみたわけです。 おもしろかった。物語としては大学のサークル活動(それもかなりディープな)を通したまんがなんですが、予想どおりというか、自分の過去と重なる部分がでてきて一気に読んでしまった。 自身の大学生活を振り返って、2つ、後悔というかどうなっていたかなと思うのが、サークル活動と、大学の規模でした。
もうBlogを書くことはないかと思ってましたが、ふと更新します。
2013年8月は客先の残業規制で定時退社が続いており、ふと日曜の夜にとある光景を思い出したのがきっかけでした。 「国道の本屋」 地元にいた当時はそう読んでました。 実家のそばを走る国道沿いにその古本屋はありました。 きっかけは、親の車に乗っていた時だったと思います。 当時の実家に遠出から帰る時は最後にその国道を走るのですが、何度かその本屋を見たのがきっかけでした。 たぶん、初めて行ったのは高校の時だったと思います。 当時駅までは自転車で通っていたので、学校帰りに横切る国道を走っていって、初めてその本屋に入った時。 BOOKOFFのようなチェーンではなく個人経営の古本屋だったと思うのですが、とにかく広く感じました。 いや日本中を回ったらもっと大きい本屋はあると思うんですけど、少なくとも自分のそれまで行ったことのあるどの本屋よりも大きかった。というか天井が高かったのをよく覚えています。 確か棚の上の方の本は脚立に乗るか、店員さんに言わないと取れない高さだったかと。 なので品揃えも驚きでした。それまでも近所の古本屋を色々開拓していたのですが、そのどこよりも品揃えが充実していた。ああそうだ思い出した、浦沢直樹のマンガを集めたくて行ってみたんだ。当時受験が迫っていたと思うけど(笑 それからは通い詰めました。 確かゲームなんかも申し訳程度に売っていたけど、値段的にはあまり魅力がなかったと記憶(笑 特に買いたい本がなくても、高校の、予備校の、大学の帰りに寄っていました。 当時はその国道と裏の旧国道に何件か、中古ゲーム屋や本屋があって、そこを巡るのが好きでした。 大学を出ると同時に実家を出たので、それ以降足は遠のきました。
どうも、これが本Blog1000回目の投稿となります。 そして、最終回になります。 まぁ、半年以上前から更新は滞っていたので。頃合は見ようと思ってました。 このblogの初回投稿は2004年6月。まだ前の会社にいた時でした。 社会人2年間でしこたま仕事した結果が出ず、別の客先に行った当初でした。 本当に仕事がなくて、なんとなく時間を過ごしながら定時で帰っていた頃。 することもないので、当時流行りだしたblogを始めたのでした。 当時はまだmixiも、facebookも、twitterもありませんでした。 blogが、ネット表現の最先端でした。 仕事は2004年の年末頃から火を吹き始め、2005年の前半は仕事のキヲクしかなく。 そして2006年に転職。現在の会社へと勤め始めました。 時間に余裕ができるようになりましたが、始めた当初ほど、ここに書きたいことはなく。 惰性で、どこか辞める理由を求めて続けていました。 この4月、昇格しました。
今日一日は最初から、静かに過ごそうと決めていました。
「彼女に関する全ての感情は、
いつもフルボリュームで鳴っていた」 今日ふと、家の漫画を整理してきて、読み返していたら最後にあった一節。 最初に読んだ当時と、今では大分受ける感情が変わった。 去年の年末から、ある女性と交際、平たく言うとお付き合いをしていました。 きっかけは、友人主催の飲み会。特に何の特別さもない。ふつーの出会いでした。 その場でワリと意気投合して、メールはすぐにやりとりするようになりました。 化粧っ気のない、でも瞳は大きく、身体は小さな女性でした。 年末に運良くイベント事が続いて、会う機会を沢山持てて、年末に自分から交際を申し込みました。 オーケーをもらった時は、本当に嬉しくて、でも、 一抹の不安もありました。 彼女には俺に語らなければならない過去があり、俺はそれを比較的早い段階で教えてもらいました。 それはまだ付き合う前の時です。 最初は少なからずショックで、随分悩みました。 好きになりかけていたのに、どうして。。。俺が気にしなければいいこと、そう思ってもどこかでひっかかっている自分がいました。それでも、可能性を閉じてはいけない、そういう気持ちで一歩を踏み出したのでした。 最初は恐ろしいくらいに順調でした。
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