壁新聞A wall newspaper
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2020年7月が終わりました。
COVID-19。まさか世の中がこんなことになるとは。前回は2019年に更新していますが、 まさか予測もつかなかったですね。
私自身も前回の記事から激動でした。
2019/3/31。 新元号が明日4/1の11時に発表される。あと15時間ほど。 このタイミングで、少しだけ書き残しておこうと思う。 この3月末で、現場異動になった。 今のところに転職して10年以上、一時的な異動はあったがずっと同じクライアント相手に仕事をしてきた。 別にずっとそのままでもよかった。
が、数年前からいよいよ経営不振が明確になり、たまに出る報道はその話題ばかりになっていた。 去る人も多かった。 無理もない。だがずっと、そこにいると緩やかな流れだと思っていた。まだ大丈夫。まだ大丈夫。 実際は相対性理論のように中にいると外の流れが速くなればなるほど時間が止まっているかのようだった。 昨年末。いよいよ決定的なニュースが流れてからは止まっていた時間が動き始めた。
最近、というか去年からですが、自転車での移動にはまってます。
新宿や秋葉原ならどちらも30分程度で行けるので、ちょうどいい運動かなと。 先日はスカイツリーまで行ってきました。ほぼ都内上半分を回った感じ。 で、昨日(もう一昨日)の日曜日も自宅から白山通りを抜けて秋葉原まで行ってきました。 この道を行くと、東洋大学と、東京大学の前をちょうど通ります。 通りがかったときに、スーツ姿と袴姿の学生が学内から出てきて、写真など撮っていました。卒業式シーズンですね。 今日の帰宅時にはトランクスーツを持っている人をちらほら。卒業旅行ですかね。 高校の卒業式を見てもあまり何も感じないのは、やっと開放されるという思いが強かったからかも。 大学の卒業は、楽しかった場所が失われることの寂しさがあったから、こうしてこびりついているのかもしれないです。 2002年の3月でした、卒業は。 世は日韓ワールドカップ直前。もしかしたら、日本国内に勢いがあった今のところ最期の頃かもしれないです。 その日のことはそれなりに覚えています。天気は抜群に良かったかな。
どうも、これが本Blog1000回目の投稿となります。 そして、最終回になります。 まぁ、半年以上前から更新は滞っていたので。頃合は見ようと思ってました。 このblogの初回投稿は2004年6月。まだ前の会社にいた時でした。 社会人2年間でしこたま仕事した結果が出ず、別の客先に行った当初でした。 本当に仕事がなくて、なんとなく時間を過ごしながら定時で帰っていた頃。 することもないので、当時流行りだしたblogを始めたのでした。 当時はまだmixiも、facebookも、twitterもありませんでした。 blogが、ネット表現の最先端でした。 仕事は2004年の年末頃から火を吹き始め、2005年の前半は仕事のキヲクしかなく。 そして2006年に転職。現在の会社へと勤め始めました。 時間に余裕ができるようになりましたが、始めた当初ほど、ここに書きたいことはなく。 惰性で、どこか辞める理由を求めて続けていました。 この4月、昇格しました。
今日一日は最初から、静かに過ごそうと決めていました。
「彼女に関する全ての感情は、
いつもフルボリュームで鳴っていた」 今日ふと、家の漫画を整理してきて、読み返していたら最後にあった一節。 最初に読んだ当時と、今では大分受ける感情が変わった。 去年の年末から、ある女性と交際、平たく言うとお付き合いをしていました。 きっかけは、友人主催の飲み会。特に何の特別さもない。ふつーの出会いでした。 その場でワリと意気投合して、メールはすぐにやりとりするようになりました。 化粧っ気のない、でも瞳は大きく、身体は小さな女性でした。 年末に運良くイベント事が続いて、会う機会を沢山持てて、年末に自分から交際を申し込みました。 オーケーをもらった時は、本当に嬉しくて、でも、 一抹の不安もありました。 彼女には俺に語らなければならない過去があり、俺はそれを比較的早い段階で教えてもらいました。 それはまだ付き合う前の時です。 最初は少なからずショックで、随分悩みました。 好きになりかけていたのに、どうして。。。俺が気にしなければいいこと、そう思ってもどこかでひっかかっている自分がいました。それでも、可能性を閉じてはいけない、そういう気持ちで一歩を踏み出したのでした。 最初は恐ろしいくらいに順調でした。
明けましておめでとうございます。
2012年もよろしくお願いします。 また、12月も更新できませんした。 仕事の方は去年と比べてまったりと過ぎていったんですが、それ以外に色々とね。 あまり大したことは言えないけど、30年超生きてくると、色んな人の繋がりあるなと。 忘年会に出たりして、色んな人と話していると、そんな当たり前のことが、とても価値があるのだと、至って平凡なことを思い返します。 twitterやmixiやらと、便利なツールが増えたおかげで、遠く離れていった人とも簡単に交流が図れる。10年前にはなかったこと。 全然話変わりますけど、PSVITA買いました。 完全なる衝動買い。ちなみにハード自体は凄くいいものです。 大満足。ちょっと重いかなーってのがなくはないけど、値段分は楽しめそうです。 とりあえず、レトロゲーマーとしては真かまいたちの夜が同時購入鉄板でしょう。 さて、どこからどう話したらうまいこと伝わるのだろうかな。 18歳の頃、受験勉強もロクにせずに俺がはまっていたのは漫画だった。 で、当時から、そして今でも一番好きなのは浦沢直樹の「YAWARA!」なわけです。 22巻のラストは今でもセリフすらそらんじれるくらい好きです。
昨日は体調が悪く、早くに床に入った。
で、夜中に目が覚めて思い至ったときには0時をまわってました。 一応このブログ、開始から更新のない月はなかったし、それを目標にしていたんだけど、7年目にしてついに2011年10月の更新ができませんでした。 近況を簡単に。 節電の夏を乗り越え、秋に入って来期モデルの作業はもう動いてます。 が、自機能は一応メイン機能の一つ(自慢)でありながら機能的には枯れているので大きな変更もなく、日々問い合わせと過去の問題対応をこなす日々で、比較的余裕はある状況。 駅伝走りました。 っても5kmですが、フットサルチームの仲間に誘われてちょっと相模原まで。 自他共に認めるインドア派ですが、走るのって気持ちいいなとその時は思った。 一応練習と称して皇居周りを走ったりもしてました。タイムは全然だったけど。 でも1つやりきる、っていうのは精神衛生によい効果をもたらすと思う。 正直、9月は個人的に大分沈んでた。 春モデルの燃え尽きはとっくにおさまったと思っていたけど、それとは違うもの。 何かと後ろ向きに考えがちだったのだけど、この駅伝で結構風向きがよくなったかなと。 といったところで先月は無事誕生日を向かえ、ゾロ目になりました。 この年でまだ独身、、、ってのはジツはそれほど意外でもなかったなぁ。 そろそろ、、、とは思ってますがね。 残念ながら楽しいことばかりではありませんでした。
たまには、友達の話でもしよう。
無許可だけど。 先日、わざわざ休暇をもらって、友人の送別会のサプライズに行ってきた。 正確には、友人の彼女の送別会。 別の友人が勤めている職場での送別会に、俺ともう一人でこっそり乱入。 突然現れて、花束を渡すというサプライズ。 それ自体は大成功だった。おもしろいほどうまくいった。 俺達の仕込みも喜んでもらえて、それは良かった。 その別れが、海外、それも数年におよぶものでなければ。 海外の新店舗のオープニングスタッフとして赴任。めでたいことだと思う。 彼は止められなかった。 仕事で計画倒産のとばっちりを食らい、一時的に糊口をしのぐ日々。 口にこそ出さないけど、その状況が、彼女を引き止められなかったことは容易に想像がつく。 口にこそ出さないから、その想いに余計な感情を入れてしまう。 彼のその仕事の結果は、くしくも送別会から移動した、タームナル駅に居並んでいた。 1つ1つ、それが埼玉の片田舎の街工場で必死につくられたものだと誰も知らない。 二次会はカラオケだった。
本当は甲子園遠征の写真を載せたいのですが、諸事情により延期。
さて。 最近はもっぱらゲームから離れてますが、久しぶりに熱い話題が。 PSO2、ついに。 ・・・遊んでたのが2000〜2001年だから、ホント10年経ったんだなぁ。 PSO、ファンタシースターオンライン。 セガがドリームキャストで発売した、日本で初めて、家庭用ゲーム機でオンライン接続を成功させた、画期的なゲームだった。 当時、俺は大学3年。 2年次のサボりのツケで、ほぼ全単位を取らないといけないという状況の中で、今でも付き合いのある同級生からすすめられたのがPSOだった。 当時はオンラインゲーというか、インターネットですら敷居のあった時代。 大学3年で、ようやく自分のPCを、バイト代を貯めて買った時の話だった。 ドリームキャストというハード自体は購入してはいたが、肝心は接続に関して。 当時実家住まいだったが、まだアナログ回線(すぐにISDNへと移行した)だった頃だ。
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